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平清盛と平氏の政権

日程6/22, 29, 7/6, 13, 20 火曜日 (全5回)
13:30~15:00
会場東海大学校友会館(霞が関ビル35階)
受講料10,000円 
定員60名

 歴史の舞台は古代から中世への激動期にあたり、平氏の政権は、まさに古代の終焉をつげる苦悩のなかに生まれた独裁政権であった。  保元・平治の乱で武士団内の対立勢力は失われ、中央には平清盛を棟梁とした平氏のみとなった。後白河上皇な武力をもった公卿として平氏を利用し、清盛も宮廷との関係を深めた。  清盛は一門の官位の昇進を急ぎ、自身が従一位太政大臣となったのをはじめ、一門の人々の栄達もめざましいものがあった。清盛の娘徳子が入内して中宮となり、その所生の皇子が即位して安徳天皇となった。  また、平氏の経済的基盤はおもに荘園と知行国にあり、律令的色彩が濃くみられ、平氏の出自が武士でありながら独自の特性がみられる。平氏の政権について述べたいと思う。
講義内容
第 1回 清盛の平氏棟梁への道と出生の秘密
地下平氏であった清盛は、皇室と結び勢力の伸長をはかった。清盛はついに従一位太政大臣となる。だが、そこには清盛の「出生の秘密」があったという。

第 2回  清盛をめぐる女たち
平氏は武士出身であるが、清盛によって実現された平氏政権の成功の一因は、娘たちの婚姻政策にあったと考えられる。

第 3回  高倉天皇の即位と皇子誕生
清盛には9人の娘があったといわれる。なかでも徳子は高倉天皇(清盛の妻時子の妹滋子が後白河上皇に寵愛され生んだといわれる)の中宮となり、安徳天皇を生み、清盛は天皇の外祖父となった。

第 4回  平氏政権の構造と清盛の国際感覚
平氏一族の繁栄は廟堂の大半を一門で占めるばかりでなく、地方の国主や受領もしだいに一門の支配網とした。さらに経済的基盤を固めるために積極的な外国貿易政策をとり、宋船との貿易を行い大陸の財宝を入手した。源平の争乱で財宝は灰となるが、平氏の文化は広島県の厳島神社に見ることができる。

第 5回  ゆらぐ平氏政権と平氏の孤立
後白河院は、院政の初期には、自己の権力強化のため平氏の勢力を利用したが、しだいに平氏の専制化が目立ちはじめると、鋭く対立するようになった。一方、反平氏勢力の結集も強まり、諸国の源氏が続々と挙兵しはじめた。
講師